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関羽が見下ろす芝居小屋

写真: 関羽が見下ろす芝居小屋

写真: 福井藩江戸上屋敷 写真: 人形町・中村座

江戸東京博物館にて(復元中村座、江戸堺町=現日本橋人形町、1805年顔見世興行を再現)

1624年(寛永元年)、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が江戸の中橋南地(現在の京橋の辺り)に創設したもので、これが江戸歌舞伎の始まりである。当初猿若座と称し・・・(Wikipedia)

屋根に掲げられた櫓の正面には「中村座の紋である、角切銀杏」、両脇には「きょうげんづくし・なかむらかん三郎」が染め抜かれ、この櫓が幕府公許の芝居小屋の目印の由

関羽は神田祭りの山車、芝居小屋とは直接関係はなさそうです

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コメント (8)

  • tH

    屋根の上に掲げられた櫓、この間の新築歌舞伎座にもありましたね、どんな紋章でしたっけ

    2014年1月30日 00:02 tH (3)

  • 早起き鳥

    tHさん、おはようございます

    そうですか、判りませんでした良くご存知ですね〜(*^^)v

    ↓歌舞伎座の座紋、こびきちょう「鳳凰丸」
    https://www.kabuki-bito.jp/news/2013/03/post_736.html

    これみたいですね、木挽町は発祥地かな? 少し調べてみますね

    2014年1月30日 07:50 早起き鳥 (6)

  • 早起き鳥

    tHさん、

    現在の歌舞伎座の位置は、江戸期でいえば木挽町にあった「山村座」が相当
    するようですね。また現在の歌舞伎座が山村座がそのまま継承された小屋で
    は無いようです。

    ↓Wikipediaから
    寛永19年(1642年)、山村小兵衛(初代山村長太夫)という者が木挽町四丁目(こびきちょう、現在の中央区銀座4丁目の昭和通りの東側)に櫓をあげ、これを山村座(やまむらざ)といった。続いて慶安元年(1648年)には筑前の狂言作者・初代河原崎権之助が木挽町五丁目(現在の銀座5丁目の昭和通りの東側)に櫓をあげ、これを河原崎座(かわらさきざ)といった。さらに万治3年(1660年)には摂津の人で「うなぎ太郎兵衛」と呼ばれた森田太郎兵衛がやはり木挽町五丁目に櫓をあげ、これを森田座(もりたざ)といった。


    なお、例の「江島生島事件」はこの山村座に関連した事件だったようですよ
    ↓Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B3%B6%E7%94%9F%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    2014年1月30日 10:22 早起き鳥 (6)

  • tH

    早起き鳥さん、お手数かけてしまいました

    歌舞伎座の座紋「鳳凰丸」なんですね、こういう紋章、人にも(家系)座(建物、芝居小屋、組織)などにもあるんでしょうか日本には日本的なもの意匠も自然を取り込んだいいもん(紋)ですねえ(笑)

    2014年1月30日 21:47 tH (3)

  • 早起き鳥

    tHさん、おはようございます

    どう致しまして、はじめから調べるつもりでしたので構いません(*^^)v

    この博物館は、何回も行って疑問を深め調べるところに面白味があると
    ると思います。また調べた上で見直すと、また疑問がきっとでてくると
    思います。(でも直ぐに忘れるんですよね笑)

    洋の東西を問わず、個人、社会、組織の係わりや威光を示すため、区別する
    「目印」は必要だったんでしょうね。最近のNHK大河・黒田官兵衛の中で
    信長の「天下布武」の政策の場面が出ていましたが、当然、印章も作られた
    はずですよね(^^)/~~~

    tHさんとこも、屋号ありません?

    2014年1月31日 07:57 早起き鳥 (6)

  • tH

    うちは昔から床屋ですけど特別に屋号は無いですね

    紋はどこの家でもありますけど、紋付など日頃和服となじみが薄くなって自分の家の紋章はなんだったか記憶にも薄れてきてしまいます

    天下布武の印章は昔のTVドラマで見ましたね

    2014年2月1日 00:10 tH (3)

  • 早起き鳥

    tHさん、おはようございます

    家紋は我々の親の代(着物を持っていたはず)までは意識していたよね(*^^)v

    tHさんの屋号は「床屋」ダッ〜!!!


    http://shinyuriyamate.com/12ayumi/12ayumi_08.html
    屋号の成立
    ●〈職業によるもの〉江戸時代には現金収入を得るため農業のかたわら、あるいは農閑期を利用して、農閑余業といわれた様々な仕事に携わった。それらの職業は質屋、屋根屋、佐官屋、紺屋、桶屋、鍛冶屋、縁日商などで、職業の名称がそのまま屋号となっている・・・・・その他とこば(床屋・髪結い)等)などがある。

    2014年2月1日 08:07 早起き鳥 (6)

  • tH

    「とこば」ですか「床場」なんですね、知らなかった

    2014年2月1日 23:00 tH (3)

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