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大井川川渡し

Photos: 大井川川渡し

Photos: 万葉集:オキナグサ(翁草 ) キンポウゲ科古名:ねっこぐさ(根都古具佐) Photos: 万葉集:たちばなニッポンタチバナ(日本橘)ミカン科

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」

かつて遠江と駿河の国境をなし、東海道最大の難所だったといわれる大井川。軍事上の理由から架橋は許されず、両岸の金谷宿と島田宿が抱える多くの川越人足の既得権益を守るために渡船すら禁止され、東海道を往来する旅人は川越人足による肩車や連台に乗って川を越すしかなかった。川越賃銭は当日の水量によって決められ、大水ともなれば数日も足止め、越すに越されぬ大井川となるわけである。金谷・島田側の両岸には川越人足が待機する番宿や業務の拠点となる川会所が設けられ、幕府はそれぞれに350人の人足を置くことを定めていたが、幕末には交通量が増大して約650人にも膨れ上がったらしい。今では大井川橋で難なく渡河できるので難所を感じることはないが、当時の様子は広重の浮世絵に垣間見ることができる。

その大井川右岸に町を形成したのが金谷河原町(金谷宿川越し場)。川庄屋・年行事・吟味人が詰める川会所をはじめ、川越人足たちが詰める番宿(壱番~拾番宿)、川越人足が旅客から受け取る川札(今で言う切符)を換金する札場等を置き、大井川の渡河を生業にする人々で町が形成されていた。中でも宿(仲間の宿)は川越人足を牛耳る詰め所で、川越えの継立てする順番を決めていたといい、人足たちにとっては最も重要な場所だったことが想像できよう。そんな金谷宿川越し場の人足たちが闊歩したのも今は昔、残念ながら島田宿側の川越し場は多くの遺構を残すが、金谷宿側は何も残っていない有り様、相当に想像をたくましくして歩かねばならない。

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Comments (2)

  • ☆トミー

    nami4radioさんへお気に入り有難う御座います。

    ふぃろすさんへお気に入り有難う御座います。

    11-30-2023 16:20 ☆トミー (47)

  • ☆トミー

    nossさんへお気に入り有難う御座います。

    花花みんみんさんへお気に入り有難う御座います。

    昔ライダーHKさんへお気に入り有難御座います。

    如来さんへお気に入り有難う御座います。

    12-05-2023 18:12 ☆トミー (47)

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